で、blogで何するのさ


 という訳で、下のエントリで「blogとは何か?」について語りましたが、実はこれはあんまり大事なことではないと思っています。
 ありんちょさまの仰る通り、「blogで何が出来るのか?」が重要ですね。


 で、面白いのがzolda0gさまの分析。日記とblogを「作文と論文」という日米の文化の違いに結び付けて分析されています。
 このエントリは金曜日の僕のはてなにつけていただいたコメントでの

このツールを有効活用するには文才やコミュニケーション能力でなく、DJのような編集やアレンジの才能が必要ではないかと。

と言うコメントから発展したものだと思います。このコメントはかなり的を射ているんじゃないかと思います。blogは確かにクリエイトというよりは、編集やアレンジに近いですね。だからこそ「Persona lPublishing」と言われるのかもしれません。ってそれはちょっと違うような(^^;


 例えば僕が下のエントリで行ったように、僕がここで何かを主張するときは多くの場合何らかの根拠をリンクと言う形で提示します。或いはリンク先の内容が出発点になってさまざまな考察を加えたりする。反対の立場のサイトをリンクして議論を発展させてみたり。これは正に論文的手法です。クリエイティブでもないし発露的でもないです。
 で、ちょっと「blogとは何か?」っていうテーマでググったりしていたんですが、日本の「blog」でそれに関して書かれている方は結構多いんですが、多くの場合「僕は/私はこう思う」的な内容であまり論証していこうと言う姿勢のところがありません。これって非常に「作文的」だし発露的です。「blogとは何か?」というようなテーマでさえそうなんです。もちろん僕だって、完全に論文的な文章だけでここを埋めているわけではありませんけど(^^;


 まあ、別に「作文的」と「論文的」とどちらがいいとか悪いとかって言う話ではありません。ただ、公共空間で不特定多数の相手に向かって情報を発信するときに、どちらがより効果的かって言う話はあるかもしれません。僕としては「論文的」である方が効果的と感じます。何らかの根拠を提示してもらった方がいろいろと理解や判断がしやすいです。
 ただ、多数派の日本人にどちらが好まれるのか?或いは、日本人にとってより自然な手法はどちらなのか?といえば「作文的」な方なのかもしれません。もしかすると、「作文的」な思惟方法をもつ日本人が「論文的」な思惟方法に向いたスキーマを持つblogを利用しているミスマッチが「blogはつまらない」という指摘の本質的な部分かもしれません。


 まあ、そうは言ってもホスティングサービスが充実してきたblogは今後どんどん増えていって、「日本的」な使われ方をしていくことでしょう。「全人類がblogを持つ日」のような事態になると、それはとても面白いなぁと思います。
 もしそうなったら、そこでのblogはとてもパーソナライズされて、特定の形式にとらわれたものではなくなるでしょう。それこそが正に「ネットによる情報革命」の到達点なのかもしれないと思ったりもします。


 結局blogで何が出来るか?と言えば、「好きなことが簡単にパブリッシュ出来て、それがまたコメントやTrackbackなどのシステムを通じて簡単に広がっていく」ということなのでしょう。
 面白いblogもあればつまらないblogもある。それがある意味正常な姿なんだろうなと思います。