ちょっと不思議な大人

 今通勤電車内なんですけど、小学生の団体さんと一緒です(^^; 僕が乗った駅で一緒に乗りました。
 まあ、多少は騒ぎますわな、子供やし。それでも度を越した騒ぎ方という程でもありません。「元気な小学生」と言う程度。駅のホームでもちょっと大きな声でおしゃべりしている程度。別に走り回って危ないとか周りに迷惑かけてるとかじゃありません。まあありがちな朝の風景です。


 そこにさっき、一人のオバサンがわざわざ駆け寄って行って、うるさいだの注意する人間はいないのかだのと結構な剣幕で注意していました。っていうか怒鳴り散らしていました(- -;
 こっちとしては、そんなあんたの方がうるさいよ、と思う訳です。朝の電車で多少うるさい子供達に遭遇しても単にうるさいだけですが、ヒステリックな大人に遭遇すると結構嫌な気分になりますよね。


 なんかこう、ヒステリックな反応をする人って何とかならないんですかね。ちょっと前も電車内で、携帯使ってる人に向かってマナーがどうのペースメーカーがどうのと怒鳴り散らしてる人がいて、かなりうんざりしました。別に通話していたわけでも優先席のそばだったわけでもないんですけど。
 彼らにとってはそういうものが我慢できない絶対的な「悪」なんでしょうねぇ。公共の場で騒ぐ子供や電車内での携帯の利用というのが許すことの出来ない悪なんでしょう。


 そんな時の彼らは、彼らの中では絶対的な「善」なんでしょうね。不寛容な善ほど恐ろしいものはありません。以前ありましたね、電車内で携帯を使っているといった殴られて亡くなった事件が。
 まあ、それは極端な例としても、一方的で不寛容な正義はえてして不幸な結果を招きます。彼らにはその自覚が無いところが怖い訳です。


 なんと言うか、最近凄く「まともじゃない」両極端な人が目立つようになってきたように思います。悪いニュースを見ても、ちょっと理解できないような事件が多いし、善いことをしてるつもりの人達の行為にも首を傾げさせられるものが多い気がします。
 サイレントマジョリテイとしての「まてもな人々」ももちろんその影にはいるんでしょうけど、そこから突出する極端な人々があまりに多く目立つのでなんだか今の日本の社会はそんな人ばかりなんじゃないかと不安になったりします。


 人は皆が同じで常識人で均質である必要は全く無いと思います。逆にそれぞれ違って独創的で異質であって当たり前だと思います。しかしそれと社会生活を営む上でのまともさとか共同性とか寛容さとかは全然別次元の話で、それらが欠けているといろいろ不都合が生じます。しかも質が悪いのは、その不都合が欠けてる人本人にではなくその周りにいる人達に生じるという事です。
 彼らは呑気なものです、自分が何かおかしな事をしたという自覚は全く無いわけですから。


 なんだか嫌なオヤジの説教みたいになってしまいました(^^; 自分がそんな人にならないように気をつけないといけませんね。