「お返しTrackback」その2


 下で、「お返しTrackbackはおかしいと」書きました。僕としては、その認識に基本的に振れはありません。
 でも、「おかえしTrackbackはやめよう」に反論しているこちら。一理あるなぁ。


 技術者や、初期にそのシステムにかかわる一部「ユーザー」っていうのは、そのシステムの原理にのっとった利用をする、或いは、のっとった利用をすることを当たり前と考える嫌いがあります。しかし、上のリンク先で言われるように、そのシステムがメジャー化していく段階で、システムの原理にのっとらない利用の仕方をする人々が現れます。これは別にTrackbackに限った話ではありません。
 で、その時に「原理的に正しい使い方」をとくことに何の意味があるのか、と。確かにほとんど意味ないですね… 逆に、原理にのっとらない使い方が後には主流になる場合だってあります。携帯なんてその最たるものです。「話せりゃいいやん」なんていう原理論は今殆ど通らないですよね(^^; 昔は「仕事のメールは携帯に送るな」なんてよく言われたものです。


 まあ、「Trackbackとはこう使うものです」っていう風に見やすい所に書いておくことって言うのは非常に意味はあります。でも、「全員使い方を理解して、正しく使ってください」とか「正しく使ってない人たちは云々」とかって言うのはあまり意味無いんですね。そういうのはそれこそ流れが決めていくものですから。
 そこら辺の流れを決めるのが、実はさっきも書いた根深い「日本人的感覚」だったりするんじゃないかな。Trackbackって、非常に合理的で効率的なシステムです。そうであることを考えると、それが非合理的な使われ方をするって言うのはとても日本的なんじゃないかなぁと思ったりもします。


 携帯のテンキーなんて、文章を入力するには非合理的以外の何物でもない。でも、それをするのが普通のことになってしまい、それを快適にするための努力があらゆるところで行われています。使っている方も、qwertyキーボードよりもテンキーの方が速いなんて言う人が現れる。
 まあ、関係ない話ですが、どっちも日本では凄くありがちな話だなぁと(^^;


 と、ちょっと今はまっているTrackbackについて、いろいろと考えさせられました。