言いたいことは分かりますけど


 floresさまから辿った「なぜ女は議論に弱いのか


 むむぅ、言いたいことは分からなくは無いです。でも、別に男性だから、男性的な言葉を使うから議論に強いということは無いと思うんですけど。少なくとも経験上(^^;

女性特有の言葉は、男性よりも曖昧で協調的である。それに対して男性の命令調や論理的な言葉(つまり、であるがゆえに、いっぽう、したがって、等)は、はっきりとしていて、議論に向いている。

 確かに、その通りかもしれません。しかし、世の中の多くの男性は論理的で男性的な言葉を使いながら、とても非論理的な主張をし、男性同士で議論がかみ合わないことも珍しくありません。


 それから、議論に強いからといってどうなのよ、というところもあります。僕は子供の保育所の親の集まりなどに極力参加するようにしていて、そこで他のお母さんたちと話したりします。確かにそこでは「議論」は成り立たないですね。でもそれは、女性だからと言うよりは、議論が目的じゃないからという感じがします。
 仕事の現場では、さまざまな議論の必要があります。でも建設的な議論が展開されて、有意義な結果が導き出されることなんてあまり無いですよね(^^; でも、女性の集団の中では、問題を解決する方法が議論を経ずに導き出されたり、上の世代から次の世代へスムースに引き継がれるなんて言うことが良くあります。


 結局、男性が「議論向きの脳」をしているのはある意味真実かもしれません。でもそれって、議論を必要としない人たちから見れば、単なる無駄でしかない。もちろん、議論することそのものに対する価値付けって言うのはリンク先のエッセイの趣旨ではないんでしょうけど。
 百の議論よりも一編の詩が真実を伝える。そんな事もありますよね。