なるほどね


 突然ですが、なんと言うか僕はUNIX文化というか、UNIXユーザーの方々の発言ややることがイマイチ腑に落ちないことがあります。違和感のような物を感じることが多いんですね。


 例えば、今ちょっと話題のビル・ゲイツ氏への爵位授与に関して、イギリスのUNIXユーザーグループが反発しているとの話題。なんかもうねぇ、何言ってんだと。どう考えても今のIT社会が出来上がったことへの貢献度としてはMicrosoft、ひいてはMicrosoftを率いるビル・ゲイツ氏の貢献が大だろうと思うんです。
 そりゃあ、ネットワークその物やサーバーに関してはUNIXの果たしてきた役割は非常に大きいと思います。しかし、それだけじゃあ今のようなIT社会は到来しなかったでしょう。ネットワーククライアントとして「誰にでもつかえる」Windowsがなかったら未だに一般人にはITは遠い世界の話だったはずです。


 もちろんMacOSもOS自体は立派なクライアントOSだったと思いますが、Appleがハードウェア会社だったためにMacOSを使いたかったらでたらめにコストパフォーマンスの悪いMacを買わざるを得ませんでした。昔は「医者と弁護士しか買えない」と揶揄されたぐらいです。今はずいぶん安くなりましたが、それでも好きじゃなきゃ買えないものであることには変わりありません。
 それに引き換えWindowsPCはMicrosoftが純粋なソフトウェア会社だったためにハードウェアを作る各メーカ間で競争が生じて一気にPCのコストパフォーマンスを向上させました。これはIT社会を成り立たせるために非常に大きかったと思います。


 こういう違和感はどこからくるのか。梅田氏のblogから飛べるJoel Spolsky氏のエッセイ「Biculturalism」を読むとすっきりと理解できます。このエッセイは主にUNIXWindowsプログラマーの文化の違いについて書かれたエッセイですが、これはUNIX文化全体を理解する上で非常に役立つエッセイだと思います。
 結局UNIXの世界って言うのは「スノッブ」なんですよ。これが全てだと思います。確かに専門家で能力もあるんでしょうけど、難しいことをことを言うばかりで僕たちエンドユーザーの役に立つような物を作り出してくれることが非常に少ないんです。もちろん、今のIT社会の今回を支えるような物を作り出している人たちもたくさんいると思います。でもそういう人たちはちゃんと分かっている人たちで妙なことは言ったり、したりしないんだと思うんですよ。


 何をどう言ってみても、この10年ぐらいの間で一般ユーザーが普通に道具として使えるPCOSマイクロソフトの物だけだったと思います。それが今のIT社会を生み出したんです。別にもともとあった市場を不当な手段で独占したわけではなく、巨大な市場をマイクロソフト自らが作り出したんです。
 その一般ユーザーが簡単にさまざまなことをすることが出来るOSがあるのが大前提で、それを支えるプロフェッショナルな用途向けのUNIXなどが存在しえるわけです。逆では到底ありえません。


 まあ、以上のことはあくまでも「僕が感じたこと」なので、異論もあるとは思いますが、Joel氏のエッセイは是非読んでみてください。もちろん、単純にUNIXを批判する文章ではありません。結構長いですが、主張は簡潔にまとめられています。