再び著作権


 昨日はblogの著作権の話題でしたけど、著作権がらみでもう一件注目の記事があります。
 こちらの記事に拠れば、321 Studios社は先日の米国裁判所によるDVDの私的利用目的のコピーは違法との判断に対して抗議運動を呼びかけているとのこと。


 こちらは、商業目的の著作物の著作権に関する騒動です。主に、私的利用の権利に関する問題ですね。私的利用の権利とは何かといえば、ご存知とは思いますが、著作権法第30条に定められている

個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

という「私的利用目的のコピー」のことです。買ってきたCDをMDやカセットテープにコピーしたり、手持ちのPCでMP3円コードしたりすることです。リンク先を見ても分かるとおり、この権利ははっきりと保障されています。
 しかし、同条1号の2ではまた以下のように上の条文の『次に挙げる場合を除き』の一つとして「コピー防止技術の回避の禁止」が謳われています。

技術的保護手段の回避により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合。

つまり、コピー防止が施されたDVDやCCCDの場合は私的利用目的の場合であってもそれをコピーすることは出来ません。それを可能にしようとするのも120条の2で罰則が規程されています。


 アメリカで言えば、私的利用はちょっと分かりませんが同国著作権法107条によって「フェアユース」などにおけるコピーが認められています。また、1201条によって、保護手段の回避の禁止が謳われています。
 まあ、ありていに言えば日本の著作権法のこの辺の部分はアメリカの著作権法のコピーといってもいいかもしれませんね(^^;


 で、ここまで書いて「DVDの私的利用目的のコピーは許されないんですね」といって終わるわけではありません。もちろん、「現行法では違法」です。でも、その現行法に問題があると考えられるんですね。
 問題点は以下の二つです。

  • 著作権法のそもそもの目的を考えれば、同報30条1号の2は問題なのではないか
  • 技術的に可能というだけで、特定のメディアの著作権だけが過剰に保護されるのは不平等ではないのか

それぞれ、ちょっと論じてみます。


 著作権の目的とは、第1条に拠れば以下のとおりです。

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

つまり、本質的な目的は「著作者等の権利の保護」ではなく「文化の発展に寄与すること」です。「著作者の権利の保護」は手段として挙げられているに過ぎません。しかもそれも「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」と制限つきです。私的利用目的のコピーは同法で「公正な利用」とされているのは上に書いたとおりです。
 つまり、「文化的所産」である映画や音楽の著作権を「技術的に可能」だからといって「公正な利用を妨げるコピー防止技術」で保護するのは、著作権法本来の目的に反しています。もちろん、この辺は建て前論とかの問題もあるんですが、法に則ってコピー禁止を主張する人がいるなら法に則って「私的利用目的のコピーの権利」を主張することは何ら問題が無いはずです。


 次に「不平等」に関してですが、ありていに言えば30条1号の2によって「過剰に」保護されるのは技術的に保護可能なメディアだけです。紙のメディアや音声メディア、地上アナログTVなどは保護されません。
 これは明らかに不平等なのではないでしょうか?もちろん、あらゆるメディアで提供される著作物に平等に著作権保護が保証されるべきかというこのには論もあるかと思いますが、今技術的に保護されていないメディアの著作物がサンプリングや引用などの形で頻繁に利用され「文化の発展」に寄与しているのに比べて、保護されているメディアで頒布されている著作物はコピーできないがゆえに簡単に利用することが出来ず、「文化の発展」に寄与できずにいます。これは過剰な著作権保護が著作権本来の目的である「文化の発展に寄与する」ことを妨げることをはっきりと表していると思います。


 もちろん、不正コピーとその流布を防止したいコンテンツプロバイダー側の意図も分からなくは無いですが、そのために「公正な利用」である「私的利用のためのコピー」を禁止されるのは納得できません。そこで保護されているのは著作権ではなく、単に業界の利益でしかないからです。
 不正コピーとその流布はそもそも従来の著作権法で禁止されているのですから、その取締りを強化すれば済むことです。それなら著作権法の基本理念にも反しません。それの困難さばかりを強調して、同様に困難な「コンテンツの技術的な保護」ばかりに注力するのはいかにも無駄です。


 私的利用目的のコピーが本当に不可能になってしまうと、戸外でのコンテンツ利用がとたんに不自由になります。音楽もCDサイズのプレイヤーが必要になってしまいますし、ムービーだってモバイル環境での視聴は殆ど不可能になると思われます。こういった利用法はあくまでも「公正な利用」の範囲です。それを不可能にする条項はやはり、著作権法自体の理念に反していると思うのです。
 下のblogの著作権問題でblogのパワーが企業を動かすことを目の当たりにします。もちろん、音楽映画業界はそれほど甘くは無いと思いますが、ネットでも現実の世界でも僕たちはどんどん声をあげていかなくてはならないんだろうと思います。アメリカではこの問題はかなりの騒ぎになっているようだし、著作権関連で企業を訴えている裁判もいくつかあります。


 日本も頑張らなくちゃいけませんね。その第1歩(?)として、このエントリを書いてみました。