木村拓也論


 floresさまのところから切込隊長の記事がらみでとんだmikillさまのページ。
 切込隊長論以外にもちょろちょろと読んでみたけど、これが結構面白いです。


 その中で注目なのは木村拓也論。僕も木村卓也のドラマで見せる独特の「空気感」には感じるところがあったけれども、これを

木村拓哉はドラマの中で、「木村拓哉ごっこ」をしているのである。

木村拓哉らしい、あれやこれやを「ごっこ遊び」的な、さりげないテンションで繰り広げているのだ。

と看破されているのには正直感銘を受けました。
 そうそう、その通りですよ。彼の出演するドラマはほとんど全て「木村拓也ごっこ」を面白く見せるための舞台装置に過ぎないんです。その舞台上で演じられる「木村拓也ごっこ」こそが彼が出演するドラマに独特の「リアリティ」を生み出すんです。ただしそれは非常に洗練された舞台装置であって、そういう意味では彼の出るドラマが高視聴率なのはそういった「木村卓也のための洗練された舞台装置」を用意出来る優れたスタッフの存在があってこそだといえると思います。


 僕はドラマの中での木村拓也の「空気感」に明石家さんまと同じ物を感じていました。それはもう「心はロンリー」の頃から感じていた物で、通常の役者と違う、役者論に当てはまらない「空気感」でした。で、木村拓也の持つ「空気感」も同じ種類の物だと感じていたわけです。別に演技が上手いわけでもないですが、ドラマに独特の「リアリティ」を与える感じがします。
 その「同じ感じ」は空から降る一億の星で確信に変わるわけですね。もしかしたら、彼らは今日本にいるどの役者よりも役者らしいかも知れません。「空から降る一億の星」は深津絵里というちょっとエキセントリックなスパイスも良く効いたドラマでした。


 などと、たまには全然違うジャンルのことも書いてみたり。でも言うほどドラマ見ているわけじゃないんですけどね(^^;