いや別に、ケンカせんでも(^^;


※以下、特定のサイトでの発言を取り上げますが、リンクはしません。先方がリンクされないことを望んでいるようなので。と、儀礼的無関心を装ってみたり(^^;<ちょっと違うぞ、俺
 こんなとき、引用関連の著作権問題はどうなるのかな? 良く分かりませんが、とりあえず、書いてみます。引用するならリンクしろ、或いは、引用もしないで欲しいと言うことであれば、一言ください>私さま。って、ここで書いていることに気付いてもらえるのかしら… ちなみに、ありんちょさまのところから辿りました。って、ずるい?(^^;


 「私さま」がblogを

「ケンカをふっかけることを楽にする道具」

と結論付けています。理由はTrackbackの機能にあるようです。私さまはTrackbackの「宣戦布告機能」の注目されています。他人のサイトに自分のエントリから反論のTrackbackを送ることで、相手への宣戦布告として機能していると考えられています。
 なるほど、それは私さまが

よくあることだが、知り合いといろいろ話をしていると

ふとしたことで、議論となり、それがまた喧嘩を引きこしたりすることはないだろうか。

これはごく自然なことだと考える。

とされているように、まあ無い事ではないし、そうなっても不自然とはいえないことだと思います。


 ただ、あまりその面だけを捕らえてblog自体を「ケンカをふっかけることを楽にする道具」と理解するのはちょっと短絡に過ぎるのではないかと。もちろん、私さまが本当にそう思っているというよりは、そういう方向で定義してみようとした、って言うのは理解していますけどね(^^;
 ただ、この「定義」は結構一笑に伏せるものではなくて、日本人と議論に関する本質的な問題を含んでいると思っています。


 まあ僕も何度か書いていますが、多くの日本人は「意見の否定」と「人格の否定」を峻別できていません。また、「異なる意見の止揚」ということを殆ど知りません。自分の意見と異なる意見をもつ人物を見つけると、相手の意見を変えさせる、或いは自分の意見を受け入れさせることしか出来ない人が多いです。更にその際に相手の意見を理論的に批判するよりは、相手の人格を攻撃批難して、そんな人の意見など受け入れられないという態度を取る人が多いですよね。「お前の意見なんか聞く価値はない」というやつです。
 それは実際の社会でも同様、ネット社会でも普通に行われています。ネットでは非常にやりやすい「異なる意見の表明」や「異なる意見を吟味する」と言うことがあまり行われない。非常に不毛な「批難し合い」になることが多いわけです。


 個人的には、「同意」の時も「反論」「批判」の時も「批難」の時もTrackbackすると思うので、一概に私さまの言うような面のみがTrackbackの機能だとは思っていません。まあ、「非難」のTrackbackはまだ送ったことはないと思いますけど(^^;
 また、よく言われることに「Trackbackにはリスペクトの意味がある」というのにも同意できます。やっぱり、自分にインスピレーションを与えてくれたエントリやその筆者さんには、リスペクトの意味をこめて、そのネタを取り上げたエントリからTrackback送りたいですよね。相手は嬉しいか迷惑かわかりませんけど(^^;


 まあ、私さまが紹介されているように、以前から「ウェブ日記で議論は出来るか」と言うことには先人たちの議論があります。もちろん、そこで結論めいたものは出ていないようですが、ちょっと読んで見ただけでも十二分に議論が成立しているのが分かります。
 僕の場合は、「議論が成立するかどうか」は「議論の場」となるシステムやツールには殆ど依存しなくて、議論をするメンバーに殆ど依存していると思っているので、その場がウェブ日記であろうとblogであろうと特段差異はないだろうと思っています。また、実際の会議室ではなくwebでやっている以上、自分がいやになったら止めてその議論を無視することも簡単に出来ますしね(^^;


 まあ、そんな訳で、私さまもそんなに及び腰にならずにblogを始めてみたらどうでしょう。blogはやってみないとその面白さの半分も分からないシステムです。もちろん、嫌なところもあるかもしれませんけれど、なかなか楽しいものですよ。
 と、綺麗にまとめてみたり(^^